弓道
高校・大学と部活動で続け、四段を取得。 広島大学は師範不在ではあったが「吉田流竹林派」が連綿と受け継がれており、OB会の力を借りて部員同士で指導法を磨いた。レギュラー選手ではなく控えの2-3番手で、どちらかというと指導理論を編む役割だったが、東広島キャンパスの仮設道場で掛けた矢数が実ってメンバーに選ばれた4年春の中国大会で優勝メンバーも経験できた。
スキー
会社の同期に誘われるがまま社会人デビュー。なかなか上達せずスキーボードに手を出して楽しみを見出したあと、モーグルをかじって挫折したが、最近はサイドカントリーのパウダーを食もうというのが興じて Vector Gride を履く。 徳島時代に10年くらい続けてから東京に移り住んで10年くらいになるので、西日本でも東日本でもメジャーなゲレンデに行っている。例年、都合が許せばニセコひらふに通っており、ひらふでの滑走日数が最多。